2006年12月29日金曜日

リモージュから再びパリへ


12月25日

ホテルの広大な庭を散歩、霧の湿気で樹木や地面に真っ白な霜で覆われ、雪景色よりも美しい珍しい景色です。


リモージュとも今日でお別れ、クリスマス休暇で市内は静まり返っています。午後1時過ぎ、高味先生、パスカルさんに見送られ、パリへと出発しました。

2006年12月25日月曜日

サン・ティリエ





12月23日(土)

サン・ティリエ市庁舎に、ボワッスリ市長を訪問。サン・ティリエは1867年にフランス

で初めてカオリンが発見された土地、絵付けの魔術師パトリック・オドゥヴァールさんの工房があります。市長は、リモージュ・ボックスの販売を通じ街の名前を広めている堂々に感謝の意を述べ、我々の今後の計画への支援と受け入れを約束してくださいました。

この街は、サン・ジャック・コンポステラへの巡礼路にあたり、中心部のロマネスク教会には、ヨーロッパ最古の聖書の写本が収められています。現在サン・ティリエの街は、市長の肝いりで教会を中心とした中世の町並みの修復と保存に力を入れています。

名物の「キュルノワール豚」(黒尻豚)をご馳走になった後、街の助役を勤める歴史家ボワッソー氏の案内で、市郊外マルコニャックのカオリン採掘場跡地を見学しました。帰路リムザン地方の典型的な農家をみせていたくということで立ち寄った古い民家(18世紀建造)は、なんと市長さんの生家! わざわざ市長ご自身が来て「私はこの部屋でうまれたのですよ、今でもこの家で夏を過ごします」とのご説明。過去と現在が同時に生きるヨーロッパの懐の深さをしみじみ感じました。(池田)

この町のFM放送局です。すばらしいURLアドレスですね。カオリンFM88.4をお

楽しみください。(店主)

GR社、アドリアン・デュブッシュ国立陶磁器美術館

12月20日(水)

朝からパスカル・ギノーさんの工房「アトリエ・ダール・ド・リモージュ」(GR)で、絵付の様子を見学させていただきました。こちらは、パトリックさんの工房とは対照的に、リモージュ郊外にひろがる近代的な工業ゾーンに在ります。

午後は国立アドリアン・デュビュッシェ美術館の館長シャンタル・メランさんに迎えられ、館内を丁寧にご案内していただきました。この美術館は、厚志家アドリアン・デュビュッシェがリモージュ磁器産業の振興を願い、長年収集したコレクションを寄贈し、私財を投じて開館した世界有数の陶磁器博物館です。現在は国の管理下にあり、ルーヴル美術館と同じ国立美術館連合に所属しています。リモージュ磁器の歴史を中心に、11世紀から現代までヨーロッパ陶磁器の流れを、非常に豊富な収集品を通じて直に概観できる貴重な施設です。とりわけ19世紀後半の万博出品作、他国の追随を許さぬアイテムとしてリモージュがその独自性をアピールした白磁の大作、アール・ヌーヴォーの語源にもなったパリのビングのギャラリーのために特別制作されたアーティスト作品、印象派の油彩画のタッチを磁器上に再現した「バルボティーヌ」、中国の辰砂を手本に開発された高温焼成の真っ赤な「サン・ド・ブッフ」(牛血釉)など、現在では失われてしまった高度な技術と、稀有な才能との出会いから生まれる傑作の数々は、磁器という特殊なやきものに秘められた神秘的な霊力を感じさせずにはいられません。またこの美術館では、リモージュ・ボックスの前身にあたる18世紀フランスのヴァンセーヌ、サン・クルー、メヌシー他の軟質磁器製ボックスを数多くみることができます。その中のいくつかは、パトリック・オドゥヴァールさんが正式の認可を得て、アトリエ・ド・チューリピエから復刻されているので、ショップ・リモージュのサイトに写真が掲載されています。

コメント:見学後、館長さんはわざわざ我々のために、収蔵庫から展示品以外のボックスを取り出し、見せてくださいましたが、そのことはブログには載せられないので、省略してあります。また館内で撮影した写真も、国立美術館連合の許可なしには掲載できないので、ご了承ください。

2006年12月24日日曜日

リモージュ市内、 CRAFT

掲載の日にちが前後します。

12月19日(火)

今日の見学は、CRAFT(クラフト=炎芸術研究所)の訪問から始まりました。絵画、彫刻、グラフィックなど陶芸以外の分野のアーティストからアイデアを募集し、それを実際に制作実現することで、磁器制作の分野に新鮮な刺激を与えようという試みで設立された国の機関です。実際、紙のように薄い磁器のプレートを寄せ集めた照明器具や、音楽を奏でることのできる磁器彫刻作品、磁器製の電話機など、思いもよらない豊かな発想の制作物に出会うことができました。

午後はリモージュ市庁舎アラン・ロデ市長を訪ね、堂々へのご支援に対するお礼を述べました。多忙なところ時間をさいていただいた関係で表敬訪問のつもりでいましたが、我々の活動にたいへん興味と理解を示してくださり1時間余りの熱心な会見となりました。とりわけ、ソサエティーの設立と啓蒙活動について非常に喜んでくださり、是非リモージュにもおこしくださるようにと、受け入れ協力のお約束をしてくださいました。

続いてリムザン地方政府の長官ポーロ・ドゥナノ氏の元にもご挨拶に伺いました。その席で話題となったのは、伝統的な工芸磁器産業に加え現在リムザン地方が今力を入れている、セラミック先端技術の開発でした。現在リモージュ郊外では名古屋大学との協力でセラミック研究センター開設の準備が進められています。セラミック先端技術としてリモージュは、世界で初めて頭蓋骨の再生に適した硬度を変えられるセラミックの開発に成功したそうです。一番大切な頭脳を収める器という意味では、ボックスにも関係のある分野といえるかも知れません。

2006年12月23日土曜日

サン・レオナール、ムーラン・デュ・ゴ

12月22日(金)

リモージュ東方約35キロ、中世の街サン・レオナールに製紙印刷の記念館「ムーラン・デュ・ゴ」を見学に行きました。1954年まで実際に稼動していた製紙工房跡を復元し、15世紀から19世紀の紙漉きと印刷の実演を行っています。街の中心に聖レオナールを奉る11世紀のロマネスク教会(ユネスコ世界遺産)があり、古い町並みがその周りを囲んでいます。サン・ジャック・コンポステラへの巡礼路が、この街を通っていたのです。聖レオナールは囚人の守護神だそうで、この街の紋章にもなっている足かせと首かせが、印象的でした。

リモージュ商工会議所、セルティサージュ


12月21日(木)

商工会議所会頭ジャン・ピエール・リムザン氏を表敬訪問し、堂々へのご支援にたいする感謝をお伝えしました。リムザン地方を象徴するゴブラン織りのタピスリーが飾られた部屋でワインとカナッペをいただきながらの和やかな会見でした。 (この写真は昨年リムザン氏が来日したときのものです。 店主)
午後は、リモージュで一番古い19世紀の窯の残る、ロワイヤル・リモージュの工場を見学しました。素地づくりから成形、絵付けまでを一環でおこなう数少ない大規模な工場です。リモージュで最も古い歴史を誇る工場だけあり、風格のあるレンガづくりの建物が並び、広大なストック・ルームには天井まで堆く積まれた食器類が出荷を待っていました。

帰りにアルヌーさんの工房に立ち寄り、「セルティサージュ」(ヒンジの取付)の実演を見せていただきました。20くらいの工程を正確にこなさなけらばならない熟練を要する細工、また蝶番まで、自分で手作りしているのには関心しました。白素地の焼成、絵付け、セルティサージュと、作業はまるで西陣の機織のように工房から工房へと、次々と手渡しで進められ、そのどれもが実に熟練を要する職人芸であるのが、印象的でした。出来上がったボックスからだけでは想像できない、作り手のやさしい心遣いの積み重ねが、かけがえのない世界で、たったひとつのボックスを生んでいることが、よくわかりました。

2006年12月21日木曜日

アトリエ・チューリピエール、ベルナルド

12月18日(火)
リモージュから40キロほど南のサン・ティリエ・ラ・ぺルシュに、アトリエ・ド・チューリピエを訪ねました。


毎年日本にも実演にきていただいている絵付けの魔術師パトリック・オドゥヴァールさんの工房です。
サンティリエはフランス国内で初めて磁器の主原料であるカオリンが発見された由緒ある土地、パトリックさんの工房は、1774年創業のラ・セニの工場跡地の一角にあります。





ランチは工房のメンバー全員と絵付け工房でフランス式のサンドイッチ「カスクルット」をご馳走になりました。

午後は市内に戻り、リモージュで最大規模を誇る高級ブランドメーカー「ベルナルド」の美術館と、絵付け工房を特別に見学させていただきました。



創業5代目にあたるミッシェル・ベルナルド社長が、わざわざご挨拶に出てきてくださり、旧王立工房である傘下のマニュファクチュール・ロワイヤル・ド・リモージュ(国内ブランド名;ロイヤル・リモージュ)が、復刻している18世紀ボックスの陳列を解説してくださいました。

この日はもう一件、GRのパスカル・ギノーさんがボックスの白素地を専門に焼いているラ・ペーニュの工房をご案内してくださいました。


リモージュ到着

12月17日(日)
朝9:09分の列車でパリを出発、12時24分リモージュ着。

昼食後旧市街を散策、この辺りは「コロンバージュ」といわれる木組みを露出させた郷土色あふれる家並みと、入り組んだ路地が続いています。市場を中心に、街はクリスマス前のにぎわいをみせています。
リモージュは磁器だけでなく、エマイユ(七宝焼き)でも有名です。アーティスト作品を集めたエマイユ専門の素敵なギャラリーをみつけました。
カテドラルを見学するころには、すっかり日も暮れ、街は美しいクリスマスのイルミネーションに溢れていました。 (池田)

2006年12月18日月曜日

シャンゼリゼの猫 サ・セ・パリ!

サ・セ・パリ!

朝からどんよりとした空、昼ごろから小雨がぱらつき、詩人ボードレールが、「パリの憂鬱」と表した典型的な冬の空模様です。東京でお世話になったパリ市立プティ・パレ美術館の館長ご夫妻を美術館に表敬訪問させていただきました。1900年のパリ万博のために建てられ閉会後パリ市の美術館となったこの美術館は、古代から20世紀初頭までの美術を概観できる充実したコレクションが収蔵され、創建当時のままに復元された室内装飾のもとでみられるパリ中心部の穴場です。18世紀絵画と工芸品が充実していて、金銀細工の貴重な嗅煙草入れ、エナメル・ボックス、磁器製のボックスが展示されています。

夕方は館長さんに教えていただき、シャンゼリゼに残る珍しい貴族館を訪ねてみました。この館は最近まで会員制クラブとして使われ一般には公開されていませんでしたが、オークションの下見会場として期間限定でみることができました。恐る恐る大理石の階段を踏み玄関をくぐると、そこに一匹ネコがいるではありませんか。どうみてもノラちゃんのようですが、守衛さんの話しによるとこの屋の住人だそうです。彼女は、ヴェルサイユ宮殿にも負けない壮麗な広間に並べられた、評価額億は下らないと思われるモネやピカソのタブローのあいだを悠々と歩きまわっているのです。またそれを咎める様子はどこにもありません。なんともいえないこのアンバランス、この余裕というか暢気さこそ、「サ・セ・パリ!(あーこれぞパリ)」と、改めて感心しました。

2006年12月17日日曜日

パリの夕暮れと光の芸術

12月14日(金)
今日は、高味先生はパリ市内の写真取材、私は日本文化会館に「KATAGAMI」(型紙とジャポニスム)展を見にゆきました。
江戸小紋の型紙がヨーロッパに渡り、アール・ヌーヴォーのデザイン誕生に貢献した影響を検証する興味深い展覧会でした。

見学し終わって扉をでると、この季節4時頃から日没のはじまるパリはもうすっかり闇に包まれ、冬空にライトアップされたエッフェル塔の迫力に圧倒されながら、右岸のバカラ美術館に向かいました。
貴族の館を改装したフィリップ・スタルクの大胆な部屋づくりの中で鑑賞する光の芸術は、また一段と素晴らしいものに感じられました。


パリ装飾美術館

12月14日(木)
8年の歳月をかけてこの9月にリニューアルオープンしたばかりのパリ装飾美術館に18~19世紀の歴史的ボックスを訪ねました。

中世から現代までの家具や室内装飾、工芸品の歴史が紹介されているこの館は、工芸界に産業化の波が押し寄せた19世紀の後半、工芸を支えるデザイナーの育成のために、有志が資金を出し合いコレクションを寄贈して、設立された美術館です。貴金属製のボックスが20~30点と、軟質磁器製のボックスが約20点ほど展示されていました。

今回我々は特別に収蔵庫に収められているそれ以外の磁器製ボックスの資料も閲覧させていただくことができました。 (池田)

この装飾美術館の写真は後ほど。(店主)

ル・コルビュジェのサヴォア邸

12月13日(水)
現代建築の元祖ル・コルビュジェがパリ郊外のロワシーに建てた「サヴォア邸」を訪ねました。「堂々・リモージュ・ボックス取材班」がなぜ、こんな寄り道を?とお思いでしょうが、これぞ20世紀建築の原点を秘めた宝箱なのです。

外観はピロティーに支えられたただの平べったい箱のようにみえます。内部もこれ以上そぎおとすことができないほどシンプルな設計ですが、直線、曲線、平面、局面の絶妙な構成と光の効果で、一歩足を進めるごとに視界が変化してゆく、豊かで快い空間が展開しています。 (池田)

サヴォア邸の写真は高味氏のサイトに更に掲載されています。(店主)

シベリアの朝日 

やっと取材チームからのデータが揃い始めました。
まず第一報をお届けします。 (店主)

12月12日(火)

飛行機の窓からながめるシベリア朝日。
16:30、無事パリに到着。  (池田)

2006年12月16日土曜日

取材チーム パリ到着

取材チーム二人は無事にパリ到着しました。ただ、毎日更新されるブログ・レポートがあがってきません。ただ、パリを楽しんでいることは間違いないようです。取材チームの様子はこちら